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映画は憲法をどのように映してきたか |
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○日本国憲法の記念映画「戦争と平和」
日本を占領統治していた連合国総司令部は、1946年の日本国憲法公布と同時に、当時の日本映画界大手三社(松竹、大映、東宝)に憲法記念映画の製作を指示した。翌1947年に公開された「情炎」(松竹、監督渋谷実)、「壮士劇場」(大映、監督稲垣浩)、そして「戦争と平和」(東宝、監督亀井文夫、山本薩夫)の三作品である。日本映画が直接憲法の心を映像に映し出そうとした最初の作品群。占領軍の指示によるものとはいえ、いずれも日本の映画人が長く口を閉ざされていた思いを力一杯語りだしたものばかり。
「情炎」は憲法がはじめて保証した女性解放、男女平等の権利をホームドラマで主張、「壮士劇場」は明治時代の自由民権運動をよみがえらせ、民主主義の尊さを語った。中でも憲法第9条「戦争の放棄」をテーマとして託された「戦争と平和」は、当時最も先進的な東宝砧撮影所の労働組合運動に支えられて、占領軍の思惑を超え、民衆の団結によって平和を守るという主張がリアルな現実描写のなかで展開され、占領軍検閲により三十分近い削除を強いられた。
映画は南の戦場へ向かう日本軍の輸送船が米軍の爆撃で撃沈されるシーンからはじまる。主人公の兵士は中国の沿岸に漂着して助けられ、戦火の中国各地を流れ歩く。日本の侵略によって故郷を追われ、放浪を強いられる中国民衆たち。はじめて「聖戦」の真実を体験、敗戦後帰国する。彼を待つ東京の下町は大空襲で焼野原となり、新婚直後に夫が出征した妻は、戦死の公報を受け、夫の親友と結婚している。戦争の生み出した典型的な悲劇のなかで、主人公は戦争の真の犯人を知り、教育の現場で子どもたちに新憲法9条の精神を話し聞かせるようになる。
この「戦争と平和」は憲法の精神と直接向かい合っただけではない。日本の戦争が他民族にあれほどの災厄をもたらした侵略戦争であることを、日本の劇映画ではじめて語った画期的な作品である。十七歳の水上特攻兵として敗戦を迎えた筆者は、この映画によって自分の心と意識をまだしばりつづけていた軍国主義の悪夢から解き放たれ、反戦平和への道に踏み出すことができた。
○侵略戦争への反省と平和への決意
憲法の精神に忠実であろうとした日本映画は、まずアジア・太平洋戦争の十五年間が、日本による他民族への侵略戦争であったことの歴史認識と反省、それを踏まえた反戦平和の決意を語らなければならなかった。
「戦争と平和」の前年(1946年)、その共同監督の一人、亀井文夫は中編記録映画「日本の悲劇」を製作した。戦争中の統制された「日本ニュース」映画を再編集し、それがいかに戦争の真実を歪め、国民を侵略戦争に動員したか、を暴露、昭和天皇の戦争責任にまで言及した。そのため占領軍はフィルムを没収、1967年に返還されるまで、私たちは見ることができなかった。また「戦争と平和」のシナリオ作家八住利雄は、日本軍の大陸における虐殺を告発した映画「嵐の中の母」(東映、監督佐伯清)のシナリオも書き、映画は虐殺に手を貸した若い日本軍士官のいさぎよい告白でしめ、深い感動を誘ったが、いま映画は現存せず、見ることはできない。
私たちがいまフィルムかビデオあるいはDVDで見ることのできる代表的な作品は、小林正樹監督の「人間の条件」六部作(1959〜61年。9時間30分)と山本薩夫監督の「戦争と人間」(1970〜73年。9時間20分)」である。長尺だがぜひ見てほしい記念碑的な2作品だ。
「人間の条件」は旧満州(中国東北部)で中国人捕虜を奴隷的に酷使する日本大資本の植民地経営の実態をあからさまに暴露するところからはじまり、侵略戦争の罪悪を知り、憲法の重大な意味をいやがでも考えさせる。「戦争と人間」は中国侵略から太平洋戦争へ、軍部の戦争拡大を支え、促進することによって自らの富を肥え太らせた新興財閥の醜悪な顔がむき出しにされる。二度と戦争をしないという私たちの願いと決意は、あの戦争のこのような真実に根ざしている。九条をはじめとする日本国憲法の平和的・民主的条項は、その「願いと決意」の成文化だ。
○なし崩しの憲法改悪に抗して
1950年、朝鮮戦争の開始とともに米占領軍は日本政府に「警察予備隊」の創設を指示、「保安隊」を経て、現在の「自衛隊」にいたる憲法九条のなし崩し的改悪がはじまった。
日本映画はまず中編の記録映画で「自衛隊 その実態と私たち」(1974年、監督片桐直樹)で、当局の妨害を蹴って自衛隊の素顔に迫った。この映画はライプチヒ(東ドイツ)の国際記録・短編映画祭に出品され、「これでも日本政府は自衛隊を軍隊ではないと言い張るのか」と、欧米ジャーナリストにおどろきの声で迎えられ、映画祭第二位の銀鳩賞を獲得した。また同じ映画祭で金鳩賞をとった「われわれは監視する・核基地横須賀」(1975年、監督荒井英郎)は、在日米軍の核装備を長期の監視活動で突きとめ、日本国憲法はこの角度からも切り崩されている現実を明らかにした。
アメリカのベトナム侵略戦争が激化するにつれ、日本自衛隊の増強を予定して、日本の若者たちを勧誘して“兵士”にしようとする動きが強まる。小林正樹監督は遠藤周作原作の映画化「日本の青春」(1968年)で、父の戦争体験を知って防衛大学受験を止める青年にスポットを当て、家城巳代治監督の「ひとりっ子」(1969年)は、自民党の介入によって放映を中止されたテレビドラマを劇場用映画に再生、ベトナム反戦運動の経験から「人を殺す」自衛隊を拒否する高校生を描いた。また、深作欣二監督の「軍旗はためく下に」(1972年)は、戦争末期における日本軍隊の地獄図絵を見せ、自衛隊の「軍隊化」がもたらすであろう、おそるべき未来を警告している。
○憲法擁護を目ざす新しい創造へ
戦後の日本映画において、広い意味では日本国憲法の平和への願いを映し出した作品は枚挙にいとまがない。またその作品の質は戦後映画史の貴重な財産として、くり返し見直され、とくに若い世代により広く受け継がれるべきである。たとえば「平和の願い」といえば61年前に広島と長崎をおそった原爆の悲惨、あるいは「第五福竜丸」の漁民たちの被害、あるいはいまも人びとの体を蝕み、その生命を奪いつつある残留放射能の脅威と、日本映画は劇、記録、アニメのジャンルを超えて数多い貴重な反核映像をつくり出してきたが、今回はその代表作を紹介する余裕がない。
そしてこの数年、イラク戦争への自衛隊派遣を機に、海外派兵の日常化が目立ち、つぎの段階として日本を公然と「戦争する国」にするため、九条を中心とした平和憲法の改悪を目ざす策動が加速化している。いま全国六千を超えた「九条の会」の運動は、その危機感をバネにして、憲法改悪反対の世論を国民過半数に広げる固い決意のあらわれだ。在日米映画人ジャン・ユンカ−マンの長編記録映画「日本国憲法」などが広く歓迎され、心ある日本映画人は、いま劇映画「日本の青空」(監督大澤豊)、記録映画シリーズ「憲法と共に歩む」(監督片桐直樹 他)など、日本国憲法擁護を目ざす新しい創造活動を開始した。その成果と前進を期待し、それらの作品がより多くの観客をあつめるよう努力したい。
山田和夫さん : 映画評論家。主な著書に「ハリウッド 良心の勝利」、「日本映画101年―未来への挑戦」、「黒澤明・人と芸術」、「映画で世界を読む」など(いずれも新日本出版社)。 |