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戦後の平和教育の歴史と日本国憲法第9条 |
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戦後の平和教育は、60年余の間にいくつかの節目をへながら変化発展してきました。その節目ごとに、日本国憲法の理念や価値が新しく見直されてきたのではないかと思います。
敗戦直後の悲惨な戦争体験がまだ多くの人の記憶に生々しく残っている時代には、日本人みずからの被害体験を軸に、二度と戦争の悲劇を繰り返してはならないという心情を基盤としながら平和の大切さが語られてきました。それを支えたのが日本国憲法第9条でした。大多数の人々に共有されていた心情を基盤としたわかりやすい平和教育だったのではないかと思います。
この時期、憲法9条は主として日本の被害体験にもとづいて受け止められていました。いいかえれば、アジアに対する加害の視点がほとんど欠落していたのです。平和教育においても同様でした。なぜその当時、日本人にアジアが見えていなかったのでしょうか。一つは、明治以来のアジア侵略と植民地支配の歴史のなかでつちかわれてきたアジア蔑視の思想、脱亜入欧の思想が多くの日本人の思想の根底に横たわっていて、アジア諸民族を対等な民族、対等な人間として見ることができなかったためです。しかも、侵略戦争と植民地支配の実態はほとんど具体的に知らされていませんでした。ですからなおのこと、近代日本の侵略戦争と植民地支配のもとにおかれたアジアの人々の立場に視点をうつして考えてみるということができなかったのです。もう一つは当時のアジアの情勢です。当時のアジア諸国の多くは、日本の敗戦によってようやく民族独立をなしとげたばかりでした。中国のように日本を敗北させたあとの政治体制をめぐる内戦が戦われていた国もあります。ベトナムやインドネシアのように、ヨーロッパの旧支配国がふたたび植民地支配を復活させようとし、それに対する抵抗戦争を戦っていた国もあります。あるいは独立後、アジアに覇権を求めてきたアメリカの事実上の支配下におかれた国もあります。そのアメリカが日本を占領支配し、日本の戦前の支配層との合作のもとで、彼らが日本の政治指導者の地位につき、アメリカのアジア戦略に積極的に協力していたなかでは、アジアの国々が独自に戦争と植民地支配による被害とその責任を日本の支配層に対して追及することは困難でした。日本人はアジアの人々の声を直接に聞くことがなかなかできなかったのです。
このような平和教育であっても、1950年代の日本の「独立」のころから強まった「逆コース」ともよばれる政治動向、すなわち日本国憲法の平和・民主主義の理念をないがしろにして戦前政治を復活させようとするうごきに大きくぶつからざるを得ませんでした。1950年の警察予備隊から保安隊をへて1954年の自衛隊創設にいたる再軍備のうごきは、憲法9条違反だとの議論をまきおこしました。自衛隊と日米安保条約の実態がますます憲法と乖離する方向へすすむなかで、これ以後の平和教育のなかでの憲法学習は、多くの場合、このような日本の現実が憲法に違反していないかどうかを子どもたちとともに考える授業として行われていきました。
子どもたちだけでなく、憲法と自衛隊・日米安保の関係をどう考えるかは国民全体の課題ともなり、日本国憲法の価値があらためて問い直されることにもなりました。日本の軍事化や米軍基地に反対し憲法を守ろうという運動や原水爆禁止運動は、1950年代にはさまざまな形で大きく発展します。また、アジア・アフリカ諸国による非同盟運動が発展し、世界的にも平和共存の機運が大きくなります。そのなかで、憲法9条「改正」を掲げた保守政党の側は、1955年の総選挙とそれにつづく参議院議員選挙で、戦後はじめて3分の2を下回ることになり、国民の意思は憲法の明文「改正」を不可能にしました。この流れが1960年の新安保条約反対の大運動につながっていきます。
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『シリーズ 憲法9条』第1巻
『9条を知っていますか』
(歴史教育者協議会編) |
1960年代以後の高度経済成長政策は、戦争の記憶を忘れさせてしまう一面をもっていました。しかし一方、アジアではベトナム戦争が激しく戦われ、ベトナム反戦運動は、アメリカを含め世界にひろがりました。アメリカによる激しいベトナムの空爆は、あらためて日本が受けた空襲を思いおこさせ、ベトナム反戦運動とも結びつきながら空襲を掘りおこす運動が各地で発展しました。それは忘れ去られようとしていた戦争の記憶を、地域から身近な人々の問題としてあらためて思い起こさせることになりました。この時期の平和教育のキーワードは地域を掘りおこし地域で学ぶということでした。空襲についていえば、体験者の聞き取りと記録、遺跡の掘りおこしと保存、それらの展示や記録集の出版などさまざまな形ですすみました。
平和教育の大きな転機は1980年代におこりました。戦争の事実を歪める文部省の歴史教科書に対する検定に対し、中国・韓国などから強い抗議がおこったからです。ちょうど同じ時期、沖縄戦での日本軍による住民虐殺の記述削除に対して、沖縄県民ぐるみの大きな抗議もおこっています。それまでの平和教育に欠けていたアジアに対する加害の問題が鋭くつきつけられたのです。また、日本軍はアジアの人々に対してだけでなく、日本国民に対しても虐殺を行っていたことがひろく明らかになり、軍隊は国民を守るのかという問題が提起されました。中国・韓国などからの抗議を受けて教科書にも加害の事実の記述が掲載されるという改善があり、授業でも加害の問題がとりあげられるようになりました。1970年前後からはじまった地域の戦争の掘りおこしは、80年代からは地域でおこった朝鮮人・中国人の強制連行など加害の掘りおこしにもむかいました。
憲法9条は、単に日本人が二度と戦争の被害をこうむらないためだけではない、世界とくにアジアの人々に対して二度と侵略戦争や植民地支配を行わないという戦後日本の宣言=公約なのだという新しい意味づけでとらえられるようになりました。
そして今日、憲法改悪のうごきが激しくなる一方、憲法9条が世界から注目され、とりわけアジアの人々からは、自分自身の問題、アジア全体の問題としてうけとめられ、9条のゆくえに熱い関心がよせられています。そうしたなかでいま、憲法9条は新しい角度から見直されています。9条は単に戦争の被害を受けない、与えないという意味だけでなく、20世紀の戦争違法化、紛争の平和的解決への大きな流れのなかに位置づけてとらえるという視点です。国連憲章の先制攻撃禁止などの規定によって、アメリカのイラク侵略戦争に国連が支持を与えなかったという事実は、こうした新しい視点の重要性をいっそう強く示しています。授業でも、これまであまりとりあげられてこなかった20世紀の国際法とそのなかでの戦争違法化のあゆみがとりあげられるようになりました。そのなかで憲法9条がもつ世界史的な意味、先進的な意味をとらえなおそうというわけです。
憲法9条改悪のねらいが、単に日本を守る自衛隊を法的に認知するだけだなどという水準の話ではないことはいうまでもありません。日本を守るなどということとは無関係に、アメリカに追随して世界のどこにでも戦争に行く軍隊に公然と変質させることがそのねらいです。それに対抗して、戦争そのものを廃絶しようというのがいまの世界の大きな流れであること、その点では世界のなかでも進んだ憲法9条をもつ日本がその流れをいっそう促進することこそ世界からアジアから期待されていること、9条はいまや単に日本の9条ではなく世界の9条になっていることなどを、大きな構えで明らかにしていくことが、いま平和教育に求められていることだと思います。
石山久男氏:
1936年、東京で生まれる。公立高校の社会科教員をへて、現在は歴史教育者協議会委員長。主な著書に『君たちは戦争で死ねるか』(共著、大月書店)、『近現代史と教科書問題』(新興出版社)、『十五年戦争をどう教えるか』(あずみの書房)、『幻ではなかった本土決戦』(共著、高文研)。 |