ドキュメンタリー映画「シリーズ憲法とともに歩む」
 
憲法ー歴史・未来館
  国民は憲法とどう向き合ってきたか
渡辺治(一橋大学大学院教授)

2007/05/30


憲法が「還暦」を迎えられた不思議

 憲法が「還暦」を迎えました。つまり施行後60年も生きたことになります。戦後一貫して政権を握り続けてきた保守政治が憲法の誕生からそれを喜ばず機会があれば命を断とうと試みてきたことを思えば、この憲法が60年もの間長生きしてきたこと自体奇跡に近いといえます。もちろん、長生きすればいいというものでもありません。憲法の理念はすばらしいが、今や現実とは大きく乖離してしまったという声もあります。確かに、政府の度重なる解釈改憲で自衛隊は今や世界有数の軍隊ですし、イラクにまで派兵しました。憲法は一体どんな力があるのだという声がでるのも不思議ではありません。しかし、憲法が一片の紙切れになってしまっているなら、今さら安倍首相が、あえて国民の気分を逆なでする危険を冒して改憲を掲げる必要もないはずです。憲法は、依然政治に大きな規制力を持っているのです。私はここに、つまり憲法が保守政治からの攻撃にさらされながら60年も生きてきたという不思議な現状の中に、国民が憲法とどう向き合ってきたか、その到達点が凝縮されていると思います。

国民が憲法を擁護しようと必死になった時代

 国民がいかに憲法と向き合ってきたか、その向き合い方をめぐって、戦後の歴史は大きく3つに分けてみることができます。第一の時代は、憲法ができて以降1950年代一杯までです。国民が、あの戦前への回帰をさせないために憲法を守ろうとした時期です。
  国民が憲法9条とはじめて向き合わされることになったのは、1950年代に入ってのことでした。憲法が制定されたとき、国民は9条を歓迎しました。しかし、それは未だ「与えられた」ものを歓迎する、なにかしら受動的な態度でした。ところが50年代に入り、朝鮮戦争が勃発すると、西側陣営の一員として共産陣営とと対峙せよというアメリカ政府の圧力がまし、その障害物となっている9条の改正を求める圧力が加わるようになりました。国内でも、保守勢力の中から、“独立した暁には憲法を変えて自前の軍備をもつべきだ”という憲法改正論が台頭しました。当初国民は、“独立したからには自前の憲法を”という言説にひかれていました。改憲支持の世論は多数を占めていました。保守勢力は、この気運に乗って憲法改正を政治課題に掲げたのです。
  ところが、皮肉にも、保守勢力の改憲の動きの台頭と反比例するように、9条擁護の声が増えてきたのです。背後にあったのは、あの悲惨な戦争から10年足らずの間に再び日本が戦争に巻き込まれようとしている、それに対する反発と忌避の感情でした。こうした国民感情は、護憲を掲げる社会党の議席の増大を生み、保守勢力は、衆院でもついで参院でも、改憲発議に必要な三分の二の議席を確保できなくなったのです。砂川をはじめとして全国で米軍基地拡張に反対する市民の激しい行動が起こりました。
  こうした憲法擁護や平和を求める声は、60年安保条約改定反対の運動で頂点を迎えました。安保改定を推進した岸信介内閣は、「極東の平和と安全」を名目とする米軍基地の自由使用とともに、米軍と自衛隊の共同作戦体制を謳い、憲法改正につなげようとしたのです。しかし国民の反対の声は政府の予想を超えました。しかも、改定を強行しようとして岸内閣が議会で強行採決を行ったため、平和の声と民主主義を守れという声が合流しました。岸内閣は、何とか改定を強行したものの、維新以来初となるはずのアイゼンハワー米大統領訪日は中止され、岸内閣は総辞職、あからさまな復古主義の政治は大きな挫折を余儀なくされました。
  この時期に、国民と憲法との向き合い方の原型もでき上がりました。第一の特徴は、平和と民主主義の擁護が一体のものと捉えられ、しかも憲法はこの二つの理念の結晶として受け止められたことです。平和と民主主義とが対で語られることは、今では自明のようですが、実は自明ではなかったのです。こうした観念が生まれたのは、この時期の国民的な運動のなかででした。
  第二の特徴は、憲法の中心に9条が座っていたことです。市民の自由も人権も、9条の掲げる平和の擁護との関係で位置づけられ、理解されたのです。また逆に、自由と人権が確保されてはじめて平和が守られるという関係も理解されました。
  第三に、運動の担い手にも大きな特徴がありました。それは憲法擁護の運動の中心的担い手が、社会党や共産党という社会主義をめざす政党や労働組合であったことです。社会党、共産党は、社会主義社会の実現をめざす政党でしたが、その前提として、平和と民主主義、憲法擁護を訴えました。組合も、平和を実現することを自らの雇用や労働条件の土台をなす課題として取り組みました。労働組合運動が平和と憲法の問題に取り組むのも決して「ふつう」のことではありませんでした。それは戦後日本ならではの光景でした。
  そして、第四の特徴は、この時代の「国民」は集団で自己の意思を表明していたことです。「市民」という言葉はようやく安保反対運動のなかで登場しはじめたばかりでした。

国民が憲法を武器に現実を豊かにしようとした時代

 1960年を境におよそ30年間、国民と憲法の関係は新たな時代に入りました。国民は憲法を守るだけでなくその原則の具体化をはかろうとしました。憲法は一片の理想からさまざまな制度を伴う現実(、、)となったのです。安保の「悪夢」をへて、保守政治は転換しました。以後の政権は憲法改正を政治課題に掲げることを断念したのです。これは保守の英知でしたが、国民の憲法への向き合い方を保守なりに受け入れた結果でした。
  保守政権はやむなく解釈で自衛隊の成長を図る路線に切り替えましたが、運動の側はそれをも許さなかったため、9条の解釈をめぐり激しい攻防が闘わされました。政府は、“自衛隊は「自衛のための最小限度の実力」だから9条の禁止する「戦力」ではない”として自衛隊違憲論に対処しようとしました。国民は、各地で自衛隊違憲裁判を起こし、そこでは自衛隊がいかに「自衛のための最小限度の実力」から逸脱した実態であるかを証明することに腐心しましたが、他方、国会ではこの政府答弁を逆手にとって、自衛隊を9条で縛る試みが追求されました。裁判と国会と手を携えての運動は相俟って自衛隊を「最小限度の実力」に抑え込む制度を生んだのです。
  67年には、非核3原則が政府側から約束され、72年に国会決議となりました。核は他国でしか使えない兵器なので、9条の下ではもてないからです。政府は“非核3原則は単なる政府の政策で憲法9条とは関係ない”と強調しましたが、9条なくしてかかる原則を保守政権が認めるはずがないことは明らかでした。その結果、現在なお日本は世界第2の経済大国でありながら核を保有しない国家であり続けています。攻撃用兵器も保有できないとして、国会では長距離輸送機、空母などの兵器保有が規制されました。最大の制約は、自衛隊は「自衛のための最小限度の実力」ですから海外派兵をしないという制約でした。「普通の国」の軍隊のように他国へ侵攻することはしないと宣言したのです。軍事費の対GNP比1%枠や武器輸出禁止3原則など、軍事大国にならない歯止めもつくられました。
  注目しなければならないのは、この時代には、9条だけでなく、憲法の他の多くの条項が現実に具体化されていったことです。しかもそこでは、25条の生存権を武器に生活保護給付の違憲を訴えた朝日茂さんや、14条を梃子に結婚退職制度の違憲を訴えた鈴木さんのような個人が立ち上がりました。あえて言えば、国民が憲法を武器に、現実を変えはじめた時代が始まったのです。保守政権は、こうした憲法の現実化の容認との「取引き」の下に政治の安定をえたのです。

「普通の国」への抵抗

 90年代に入って、また時代は大きく変貌しました。再び国民が憲法9条を変える大きな動きに抵抗する時代に入ったのです。冷戦が終わり、グローバリゼーションの名のもとで世界の自由市場が大きく拡大するなか、“日本も自衛隊を海外に派兵しアメリカと一緒に「自由市場」秩序を維持するための警察官となるべきだ”という圧力が保守政治に転換を迫りました。自衛隊の海外での武力行使には9条の改変は不可避だし、第2期に具体化された非核3原則、武器輸出禁止3原則などの「9条体系」は、軍事大国化の大きな障害物となったからです。こうした内外の圧力を受けて、保守政治は、国民の警戒と反発というリスクを承知の上で憲法改正を打ちだすに至りました。
  憲法と平和をめぐる国民意識にも大きな変化が現われました。戦争から遠ざかるにつれて、戦争体験者が少なくなりました。“日本国民が享受している豊かな暮らしは世界が安定しているおかげであり、豊かな暮らしはいいが軍事負担は勘弁をなどといえるのか”、という保守勢力の問題提起の前に国民の分岐が起こったのです。再び憲法改正賛成者が反対者を上回り、じりじりと増加しました。
  他方、日本企業の怒濤のような海外進出を目の当たりにして、アジアの人々の中では、改めて従軍慰安婦や強制連行などの戦争の記憶が呼び起こされ、現在の日本の経済進出とダブって、軍事大国への警戒心や反発が増しました。保守勢力内では、大国化に必要な「国の誇り」の涵養のために、こうした戦争の記憶を否定する動きが台頭し、国民の側もアジアの声には必ずしも敏感ではありませんでした。
  憲法を擁護しようという運動の担い手も変わりました。企業の海外展開と激しいリストラで、労働組合の力も落ち、運動の中心には座らなくなりました。代わりに市民団体や市民たちの運動が新たに台頭し活発化しています。大規模な集会とデモに代わって、戦争展や各地の取り組みが運動の主流を占めるようになりました。「国民」は集団から多様な市民のグループへと姿を変えたのです。
  こうして、現代では再び、保守勢力による憲法改正の動きが台頭しています。「任期中の改憲」を掲げた安倍政権は、90年以降のこうした流れの頂点に立っています。
  ところが、改憲が政治日程に浮上するにつれ、国民の憲法に対するまなざしに再び変化がみられています。それを象徴するのが「読売新聞」の世論調査の動向です。2005年以来3年連続で憲法改正賛成の比率が減少し、9条については改正に消極的なものが6割を超えました。明らかに90年代以来の傾向に再び逆転が起こりはじめています。
  この方向が果して、日本の将来に続くのか、それとも軍事大国化の流れに対する小さな逆流にすぎないのか定かではありません。しかし私は、9条擁護の声の高まりがこれからの方向を示していると思います。
  近年の流れの背景には二つの大きな要因が働いていると思えます。ひとつは、イラクやアフガンでの戦争が、“軍事力は決して平和を実現する近道ではなくむしろ9条に示されている軍事力によらない道が再評価できるのでは”と考える国民を増やしていることです。9条は時代に遅れた遺物ではなく、むしろ21世紀のアジアと日本の平和と安全保障の方向を先取りしているという意識が芽生えています。もう一つの要因は、保守勢力の改憲の動きに立ち向かう市民主体の新しい運動が国民の中に広がりはじめたことです。9人の呼びかけで始まった「九条の会」の運動の広がりは、その象徴です。「九条の会」は今6000を越えます。
  国民と憲法の向き合いの歴史は、現在も進行中です。その主人公は私たちなのです。

【プロフィール】
一橋大学大学院教授。専攻は政治学、日本政治史、憲法学。
『日本国憲法「改正」史』(日本評論社、1987)、『憲法はどう生きてきたか』(岩波書店、1987)、編著『憲法改正の争点』(旬報社、2002)、渡辺治編『日本の時代史27高度成長と企業社会』(編著)(吉川弘文館、 2004)、渡辺治編『変貌する企業社会日本』(編著)(旬報社、2004)、渡辺治・和田進編『講座戦争と現代5平和秩序形成の課題』(共編著)(大月書店、2004)、『増補版憲法「改正」』(旬報社、2005)、『構造改革政治の時代―小泉政権論』(花伝社、2005)など著書多数。
「九条の会」事務局員。改憲国民投票法案情報センター代表。


 
企画:橘祐典、片桐直樹、大澤豊 
第一篇監督・脚本:片桐直樹 90分 短縮版

<成功させる会呼びかけ人代表>
小山内美江子(脚本家) 伊藤 真(「伊藤塾」塾長) 香山リカ(精神科医) 鬼追明夫(元日弁連会長)  品川正治(経済同友会終身幹事) 橘 祐典(映画監督) 辻井 喬(作家) 山田洋次(映画監督)

 
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